9月20日から26日は動物愛護週間です。
近年は、犬や猫などの愛玩動物を飼育する方が非常に多くなりましたね。
犬を飼育する場合、都道府県への登録が必要であることを知っていますか?
犬や猫がかかる病気について、きちんと勉強して、予防をしていますか?
飼われている動物は満足にご飯を食べさせてもらっているでしょうか?
命の危険から守られているでしょうか?
あらためて考えてみてください。
法律がどうのと難しい話をここでするつもりはありません。
日本ではいくつか動物愛護についての法律がいくつがありますが、
大きな効力を発揮するものではなく・・・
と批判じみた話をしたところで、
飼われている動物たちの幸せに直結するわけではないので、
生まれてからずっと動物のいる生活を送っている私の経験を紹介したいと思います。
私には2歳から飼っていた犬がいました。
自分の世話もろくにできない2歳の子どもが「犬を飼いたい」と言ったのです。
そして、近所で生まれた子犬を飼い始める事になりました。
2歳の子どもに犬の世話ができるわけがありません。
「犬を飼いたい」という子どもの気持ちを家族がかなえてくれたのです。
ご飯なども世話は大人たちがしていました。
犬はとりあえず、犬小屋を用意して、つないで飼えばいい。
およそ35年前、野良犬が普通にいる田舎では、その程度の認識なのです。
犬を飼ったら届け出が必要であること。
狂犬病の予防接種を毎年受けさせること。
そういったことは後から知るのです。
2歳の子どもだった私は、そんなこと知るよしもありません。
しかし、人間も犬も日々育つのです。
犬の登録や予防接種はきちんとしていました。
ですが、私が高校2年生になる頃、犬は16歳。
犬が咳をするようになったのです。
コンコンなんてかわいいものではありません。
全身から絞り出すような太く大きな声で咳をするのです。
あわてて病院につれて行きました。
原因はフィラリアによる心不全でした。
血液の中にはフィラリアの子どもがいて、心臓にフィラリアの成虫が巣くっているため、高齢で弱っている心臓が十分に収縮できない状態だったのです。
16歳の犬にとって、もはや、治療をしたところで治る状態ではありませんでした。
もって半年と余命宣告を受けました。
食欲が衰えていたその犬の好物はバターロールで、唯一ほしがり、喜ぶものでした。
獣医さんには怒られました。
私は泣くことしかできませんでした。
犬にとって人間の食べ物を与えるのは良くない。
バターロールなんてもってのほか。
しかし、余命が長いものではないことを考えると
好きな物を食べさせてあげるのがいいでしょうと言われました。
フィラリアを少しでも減らせれば、少しは楽になるだろうと
粉薬を処方してくれました。
バターロールにその粉薬を隠して飲ませてあげる生活になり、
1999年の除夜の鐘を聞きながら、2000年を迎えた深夜、息を引き取りました。
この経験で私が学んだことがあります。
それは「無知であることは罪だ」ということです。
フィラリアという寄生虫のことも、白内障のことも知らなかった。
フィラリアについて知っていれば、フィラリアの予防薬を飲ませてあげられた。
蚊が媒介するとしっていれば、蚊取り線香をたいてあげられた。
そうすれば、もう少し長く生きられたかもしれない。
私が犬を飼うのに必要な知識が少しでもあれば・・・
その犬が死んで約20年。
してあげられることがあったのに。
後悔の念が今だに私を襲います。
20年がたった今、
たくさんの人が犬や猫を飼う一方で、簡単に人間の事情で動物を捨てる人が数え切れないくらいいる。
「命」に変えられる、人間の事情なんてほとんどないこと。
動物を飼うのに必要なことを十分に知っておくこと。
これが動物を愛護する第一歩だと思うのです。
動物を飼いたいと思ったなら、その生態について学ぶこと。
その動物がどんな病気にかかる可能性があるのか調べること。
その「命」が尽きるとき、看取って、ありがとうが言えるように愛情を注ぐこと。
それができないなら、動物を飼うべきでない。
それを周知させ徹底されるようにするのが、動物愛護週間。
国は、都道府県は、市町村は、そのことに力を入れているだろうか。
動物に関心のないひとにとっては「人間の方が優先」。
そういってしまえば役人は納得せざるをえない。
だが、そこには人間ではないが「命」がかかっている。
動物を愛護するといって明治時代には法律をつくったのだから、
やるべきことはやってもらわねばと思うのです。